2012年06月28日

「木枠でふうりん作り」教室

梅雨の晴れ間の6月27日、爽やかな風が通る居間で旧尾藤家手作り教室が催されました。薄く柔らかなちりめんで金魚を縫うのがちょっと難しそう??

次回、7月8日もあります。どうぞご参加ください。

旧尾藤家住宅管理人

2012年06月20日

街道と茶屋と青年部

いらっしゃいませ! 本日のスウィーツは、地元産コシヒカリの米粉と卵を使ったシフォンケーキです。

1人の先人が産業のなかったこの地域に、あらたな産業をと思い、京都西陣からちりめん織りの製造技術を持ち帰ってから290年。この地域で製造されるちりめんは「丹後ちりめん」としてのブランドを確立し、昭和40年代まで、絹織物の一大産地として、京都をしのぐほどに栄えてきました。

 

その中にあって、与謝野町にある「ちりめん街道」と呼ばれるわずか500mの通りは、ちりめん商家や工場はもちろんのこと、銀行や郵便局、病院や旅館、酒蔵とそして役場などが立ち並ぶ、丹後ちりめんの物流拠点として発展し、往来する多くの人々で栄えていました。

現在は、今なお残るそれらの建物によって、日本に93ある重要伝統的建造物群保存地区のひとつとなり、当時の繁栄を今に伝えています。

 

しかし、こうして地域経済を支えてきた織物業も、和装需要の減少によって低迷が続いているため、与謝野町は昨年、新たに観光による活性化にも取り組むと発表し、その基軸にちりめん街道を据えました。そして、街道の観光客を現在の3000人から5万人にすると目標をかかげ、景観や環境整備、空家対策としての出店喚起などを取り組み項目に挙げています。私たち青年部も参加し、意見を述べたり、先輩から教わったりしながら、官民一体となったまちづくりに向かって会議を重ねています。

 

こうして、ちりめん街道の素晴らしさを知っていくうちに、「このちりめん街道を活かして自分たちでも何かをしたい!」と思うようになりました。

なぜなら、私たちは「活性化には10年、20年と時間がかかる。みんなが活性化に向かって一つにならなければ、この活動は続かんだろう?。出展喚起とは言うけど、採算ベースの交流人口になるまで、なかなか新規で商売なんて始められへんて!」と思っていたからです。

 

「じゃあ、ぼくたち青年部にできることってなんだろう?」

 

そんな思いをめぐらせながら、今必要なのは、お祭りのようなこれまでの一過性のイベントではなく、地域活性化のきっかけになるような持続可能な活動ではないかと考えました。そうして、いろいろ浮かんだアイデアの中から「ちりめん茶屋」を始めることにしたのです。

ちりめん茶屋とは、ちりめん街道沿いで戦後使われなくなっていた酒蔵をお借りし、一昨年10月に与謝野町商工会青年部がオープンした喫茶店です!

 

大家さんは観光ボランティアもされているような方で、活性化にも前向きです。それでも、当初はなかなか話が進みませんでした。そりゃそうですよ、いくら地元商工会の青年部と言っても、先代から大切に受け継いでこられた酒蔵を、改装して違うお店にしたいって言うんだし、まして他人が入るわけですから。

何度も何度も交渉し、最終的に、「酒蔵の雰囲気を活かした内装にすること」そして「3年は続ける」ということを条件に、ようやく許可をいただくことができました。

 

許可をいただいてから、今度はオープン予定日までが、また大変でした。使われていなかったこともあり、まずは部員全員で大掃除からのスタート。店舗への改装は、青年部の本領発揮で、本職の部員が指導しながら、すべてを部員だけで一気に進めることができました!

こうしてさまざまな苦労を乗り越えて生まれたちりめん茶屋は・・・

掃除の時に出てきた酒樽の蓋で作った看板を目印に、丹後ちりめんののれんをくぐって店内へ入ると、右手には小さな座敷。左手には部員が本業であつかう商品が並ぶ棚がにぎやかにお出迎えすると、「いらっしゃいませ。」カウンターから部員が客室へとご案内いたします。奥に広がる客室は、オレンジ色の明かりが酒蔵のままの壁や土間を照らし、流れるジャズの音色と相まってノスタルジックで落ち着いた空間を演出。それはまさに昭和モダン。テーブルにはもちろん丹後ちりめんのランチョンマットとコースター。

地元の食材を使った茶屋オリジナルのスウィーツと7種類の飲み物からお好きな飲み物を選んでいただけるセットがお勧めです。

そうそう、部員から9人を選抜して、衛生管理者の資格も取ってますからご安心を。

営業スタッフは部員によるボランティア当番性。そのため、営業日は毎週土日のみの朝10時から夕方6時まで。はじめは、「いらっしゃいませ」さえ、照れくさくてなかなか上手く言えないものでした。もちろん、コーヒーの入れ方だって。みんなで一生懸命練習して、いまではちょっとしたバリスタ気取りです。

 

オープンからもうすぐ2年。その間、休業したのは年末年始とお盆のみ。他の事業と重なるときも営業しなければ!という熱い思いで、営業を続けてきました。

その結果、常連客が徐々に増え、店頭で扱う部員の商品も観光のお土産にと売れてくるようになり、収支がとんとんになるまでになりました。

こうして売上が上がることは、この事業を継続する上で重要なことです。しかし、それよりも嬉しいのは、常連さんとちりめん街道の活性化について意見交換したり、当番に入った部員同士や遊びに寄った部員が、仕事のこと、青年部のことをじっくりと話し合ったりすることができる場所になっているということです。また、最近では、ご近所の奥様が、趣味の手芸を活かして、ご自宅でちりめんを使った小物の販売を始めらました。こうして、みんなができることから始めることが、活性化に向かってとても大切なことだと思うし、一歩進んだなと実感もできています。

 

このちりめん茶屋事業を通じて、伝えたい想いは二つ。ひとつは地域の方々へ「この活性化に本気で取り組む」姿勢。それを感じていただいて活性化への意識を地域と共に育んでいきたいと思っています。そしてもうひとつは部員へ「地域振興は決してボランティア活動なんかじゃない!」。茶屋が自分たちの事業だから気づきにくいけど、改装も営業も世間でいえば仕事です。遠回りでも、地域が発展すれば自分たちの仕事が生まれる。だから商工会で取り組むわけだし、ボランティアじゃなく仕事の一環として、未来の自分の仕事を生みだす活動だと思っています。

 

私たちにこう思わせてくれたのは、ちりめん街道の先人だちでした。

彼らは、明治から昭和にかけ、地域発展のために果敢に取り組まれました。

自らのお金と手によって、丹後ちりめん輸送のために鉄道を敷き、生糸相場に参入するために街道内に電信所をつくり、電力の安定供給の為に発電所まで作ったのです。

 

多様化し移り変わりの早い時代に、日本の復興を託された地域の活性化。

「今、僕たちは何をすべきか?」そう考えるとき、いつの時代も変わらない言葉がきっと私たちを導いてくれるはずです。

 

私たち与謝野町商工会青年部は、

「地域の一員としてその責任を自覚すると共に、先人の教えに学びつつ」、「創造力と行動力を活かし、地域振興発展の先駆者」として、ちりめん街道を繁栄させてきた先人たちの気概を胸に、地域と一体となって5万人目指して、そして青年らしく頑張ってまいります。

 

皆様のご来店、お待ちしております。

ちりめん茶屋詳細はこちら

 

 

 

 

 

 

2012年06月12日

木枠で「ふうりん」

糸枠を利用して風鈴作りをします。

6月27日と7月8日の2日間です。

料金は入館料こみで900円です。どんな作品ができるかご期待ください。

                                                             旧尾藤家住宅管理人

2012年06月09日

夏のしつらえに変わりました。

主座敷の様子

6月から9月2日まで夏のしつらえに変わりました。

葭戸や御簾に変わった旧尾藤家にぜひお越しください。
     
                  旧尾藤家住宅管理人

2012年06月07日

昭和初期の16mmフィルムに涙こぼれる

私はちりめん街道のある町、与謝野町の住民です。

住民でありながらちりめん街道の歴史をそれほど知らなかったちょうど1年ほど前、旧尾藤家住宅の中にある映写室で1つの映像を目にしました。

私はその映像を見た瞬間に、予期せず涙があふれてきました。

私たちの町が「丹後ちりめん」の名で有名な絹織物の産地であることは、地元の人間にとっては当然のことです。今では少なくなってしまったちりめん織機のガチャガチャという機音(はたおと)も、地元の人間にとっては心に根付いた故郷の音です。ちょうど、海の近くに住む方が波音を聞いて育ったような、そんな存在です。

私も小さい頃はその音を聞きながら学校の登下校を繰り返したものですが、その時代よりももっともっと前、戦前・昭和初期にはちりめん産業で遥かににぎわっていたと聞いています。

ですが、そのずっと後の時代を生きている私にとっては、昭和初期のことは話しに聞いていても、実感があったわけではありません。聞く所によると、たいそう賑わっていたのだろうなあ、と想像する程度だったわけです。

ところが、旧尾藤家住宅の映像を見た瞬間に、それが大きな実感に変わりました。

映像は昭和初期に、当時はかなり貴重だった16mmフィルムの映像です。街道筋は商店が立ち並び、多くの人で賑わっていました。

動く映像として、目に飛び込んできたことで「当時の賑わいの話は本当だったんだ…」という実感に変わりました。もちろん、聞かされた歴史を疑っていた訳ではありません。ただ、自分の体験ではなかったので、直接的な実感がなかったのです。

それからちりめん街道について少しずつ知って行く中で、私は一人の住民として、当時の人たちの心意気を誇りに思えるようになりました。