2012年08月30日

ちりめん物語~丹後でうまれた奇跡~vol.3

第3話 丹後ちりめん

では、丹後ちりめんはいつから始まったのでしょう。むかしむかしから絹織物が盛んだった丹後。古墳から絹織物が出てくるなど、むかしから織物が織られていたことがわかります。奈良時代、「あしぎぬ」を大和朝廷のみつぎものとしていたという記録があり、「あしぎぬ」というのは平織の素朴な織物でした。平安時代には、細かく繊細な織物「精好」が織られ、高級な絹織物として偉い人の衣服に使われていました。しかし、江戸時代まで織られていた「精好」という織物は、高級品なのでなかなか売れませんでした。お百姓さんも、農作物のできが悪く不作のときが続いていました。

 

「なんとかしなければ」

 

みんなが苦しい生活のなか、絹屋佐平冶という若者が立ちあがりました。絹屋佐平冶は、のちに丹後地域を救う救世主になったのです。この時代の産業の技術は、それぞれの産地で秘密にされていました。西陣のちりめん織りの技術も絶対秘密でした。絹屋佐平冶はなんとかその技術を得るために、京都西陣の機屋さんに住みこみで働きに行きました。

 

(絹屋佐平冶)「丹後から来ました絹屋佐平冶です。よろしくお願いします。」

 

西陣に来てから長い日が過ぎました。

 

(絹屋佐平冶)「どうすれば縮みのある織物ができるのだ。きっと糸のより方にちがいない。」

 

ちりめん織りの秘密の技法とは、「撚糸」です。丹後ちりめんは、経糸には撚りのかからない生糸、横糸には3,000回~4,000回の撚りをかけた糸で機を織ります。織られた生地には細かな凹凸ができ、それを「シボ」といいます。シボがあることで、しわになりにくく、しなやかで風合いがよく、染め上がりの色合いが豊かなものになるのです。これが丹後ちりめんの特徴なのです。

苦労の末、丹後に帰ってきた絹屋佐平冶は、この技法をみんなに教え、またたく間に広がっていきました。

さらに、京都と丹後を往来する中間問屋であった後野村の木綿屋六右衛門(もめんやろくえもん)が西陣の織屋に、100年以上門外不出となっていたちりめん技法の伝授を依頼しました。その後、加悦村の手米屋小右衛門(てごめやこえもん)と、三河内村の山本屋佐兵衛(やまもとやさへい)を京都西陣に送り、技術を習得させました。2人は丹後に戻り、加悦谷にちりめんを広めたとされています。

これがきっかけとなり、今の「丹後ちりめん」の基礎ができあがりました。この技法が伝わり、今も同じ技法でちりめんを織って300年が経ちました。丹後地域を救う大きな影響を与えたのです。

 

謎の男「絹屋佐平冶、手米屋小右衛門、木綿屋六右衛門、山本屋佐兵衛・・・。今まで300年、彼らのおかげで丹後ちりめんというブランドがあるんじゃな。皆も自分たちの地域のために行動できるひとに育ってほしいの。我輩も何かできることはないかの~。」

 

第4話に続く・・・・・